2022/06/07

【復活】完全に沈黙していましたが、私は元気です。(またはずっと考え続けるであろう問題について)



ブログが完全にとまっておりました。 

なんとなれば自分がブログをやっている事すら少し忘れておりました。 
 が、しかし。
やっぱりまとまった文章を書くためにはこれが一番よろしかろうと、
思うにいたりました。

余談ですが、
過去の投稿を読んでみると、
なんだかタイムスリップしますね。
ああ7年前の私も「あい〜かわ〜らず〜わけのお〜わからないこと〜言ってます〜」ね。
なんで過去の自分のブログ記事ってこんなに読むのが恥ずかしいのでしょうか。
これは意外と今後考えるべきテーマかもしれませんね。





本日Twitterに連続ツイートを繰り返してしまいました。


一つのツイートは140文字。
でもそれだけでは語り尽くせない。
だから連続ツイート。と、思って続けてしまうのですが、
一つのツイートの続きとして関連付けるのが、なかなか難しい。

返信という形で続けると「スレッド」という形で、
一見まとまっているように見えますが、
二つ三つ続けると、どのツイートに何を続けるのかが曖昧になっていき、
結局どれがどれの続きだかなんだか。
訳が分からなくなるので、うーん。

なので、やっぱりブログだろうと。
そう思ったわけでした。

という訳で、
連続ツイートを再録しながら加筆修正してみます。

つまり私が急に言いたくなったことはこういうことでした。👇


【私の観劇人生を振り返る

⇒振り返ることで全く演劇を観たことがない人に演劇をすすめる手段が見つけられるかもしれない。という試みとして。

高校生の時

ちょくちょく鬱に入って「闇の宮澤」が顔を出す度に、
学校をサボって喫茶店に逃げた。
シアターガイドを穴が空くほど熟読して、次はどこの劇場に行こうかと妄想した。
NODA・MAPとか遊◉機械全自動/シアターとか惑星ピスタチオとか。
小劇場ブームの黄昏を味わった。
と言っても、
バブル後期とは言え高校生のお小遣いは限られていた。
数えるくらいしか観られていない。
「学生料金」って言ったって「大学生と高校生では持ってるお金のケタが違うんだよな〜」
って思ってたことを今思い出した。学校サボっている手前、高校の学生証をマチネの受付で出すのにもかなり抵抗あった。

一年浪人を経て本命不合格

滑り止めの大学に入ったのでかなり鬱憤が溜まっていた。敗北感というか。
そして私は、晴れて(?)劇場に逃げこんだ。
とにかくこの学校で1番芝居を観てるヤツになろう!と、バイト代をすべてつぎ込んで最低週1本は必ず芝居を観た。とにかく観た。
自分がいまどこにいるのか、どこの劇場にいるのか本気で忘れるくらい観た。
年間最低100本。多い時で150本観た。
3日に一度は客席に座っていた。徐々に自分がどういう芝居が好きなのか分かってきた。
90分間、包帯グルグル巻きで黙って座っている男を観るだけのやつとか、客席に演出家っぽい人と私しかいない公演もあった。

演劇は、観る人が主体的に動かないと観られない芸術だ

家でゴロゴロしていてスマホ取り出したらソッコーで観られるものとは違う。
劇場に何を着ていこう?とか、
どうやったらチケット取れるの?とか、
最寄りの駅から何分くらい?とか。とにかく面倒なことが多い。
きっかけとして、誰かにすすめられて劇場に行くのも良い。
でも、
本当は、やっぱり劇場に逃げ込んで、人生が変わった私としては、
お付き合いとかではなく、
学校とか会社とかご近所付き合いから逃げてきてもいいから、
お友達連れて来なくてもいいから、
急に、試しに、思いつきで、観に来て欲しいと思っている。
きっと思った以上に面白いしまた観たくなるから。

何を観ればよいかわからない、という人がいるが、何を観たって構わない。

いま劇場でやっているものの中で、一番気に入ったものを観るのがよい。
当日券で入ってもいいし、劇団に電話してみてもよい。
ぴあ、ローソン、イープラス。
チケット屋のサイトを開いてチケットを買ってみてもよいし。
Twitterで「演劇」「舞台」「公演」と検索すれば、
情報は無数に出てくる。
どうせ知らないのだから、気になったものを好きに観ればよい。
変に知っているよりも全く知らない方が良い。
インディーズのCDをジャケットのデザインだけで購入するように。
ブランドもデザイナーも知らなくても、うろうろデパートを歩いていたら急に「目が合った」服を衝動買いするように。

そして正直なところハズレが多い。

多分マッチングアプリ並みにハズレる。もちろん、やったことないけれど。
でもそれはしょうがない。
演劇はごく限られた個人的な思いを集めて煎じ詰めて作られる濃厚なものだ。
誰が観ても笑って泣けるものなんてすぐに飽きるし、二度とは観たくないものだ。
そのかわりと言っちゃナンだけど、
当たりを引いた時の衝撃は凄まじい。
劇場を出てから何度も何度も思い出し、観劇の記憶はずっと残っていく。
ものの見え方、考え方が根本的に変わってしまう。
評論家などプロが書いた劇評を読み漁りたくなる。
そして、誰かにどうだったか聞いてもらいたくなる。

演劇は重いとか暗いとか言う人がいる。

申し訳ないけれどそれは当たり前だと思う。
考えてみてほしい。
目の前で知らない人が、
笑い、怒り、泣き、叫び、躍動するものを観て、
重くないことがあるだろうか?
むしろそれで「軽い」と思うのは、わざとそういう風に作っているからだと思う。

演劇はだいたいつまらない。
だから見ている人は頭が悪い。
面白ければ映画化されているだろう。
と、エラそうに言って拍手喝采を受けている人がいるらしい。
ロクに見もしないでいい加減なこと言うなよ!
と感情的になってもしょうがない。
ただ品のない人だと。黙って通り過ぎるしかないのだろう。









何度も言ってしまうけれど。演劇にしか味わえない、あの感じ。
「あれ」をうまく言語化出来ないかぎり、演劇とか舞台とかつまんねえwとか言って、
何かを批評した気分に浸る輩がどんどん出てくるのだろう。
お金儲けがうまく出来なかったり、いっぱい集客できないものは存在価値がない、と真顔で言う人が増えてくるだろう。

でも。
舞台で信じられない、言葉にならない、
「あれ」を見られたときのことを思い出して、
「あれ」のことを信じて。









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